【活動報告】6.26 SJFアドボカシーカフェに登壇しました

6月26日、ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)主催のアドボカシーカフェ「精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会へ―親と子の立場から考える―」が開催されました。当会代表理事の山田が、平井登威さん(NPO法人CoCoTELI代表)、山縣勇斗さん(CoCoTELI理事)と共に登壇しました。

ソーシャル・ジャスティス基金SJFホームページに、当日の詳細な報告が掲載されましら。ぜひご覧ください。


 

精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会へ―親と子の立場から考える―

 

 2024年6月26日、ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)は、山田悠平さん(一般社団法人精神障害当事者会ポルケ代表理事)、平井登威さん(NPO法人CoCoTELI代表)、山縣勇斗さん(CoCoTELI理事)を迎えてSJFアドボカシーカフェを開催しました。

 

 精神疾患の親をもつ子ども若者への支援が希薄な日本は、日常的な困難の積み重なっていても表出化しないまま次世代に連鎖する危機にあり、そういった子ども若者に社会側から気づけるようNPO法人CoCoTELIはチャレンジしています。親をケアする環境で自分を主語にして考え選ぶ経験が極端に少ないまま育った子どもたちが、始めて自分の感情を吐き出せて、受け入れてもらえて、自分と家族を客観視できる居場所をCoCoTELIは運営しており、これを支援のスタート地点として、病院・企業・学校・行政等と連携した子ども若者の支援網構築を模索しています。

 精神疾患をもつ親の立場にある人たちと対立構造を生むことは本意ではなく、社会構造上の問題として捉え、社会で一番弱い立場にある子ども若者の支援に取り組んでいると平井さんは表明しました。障害とは、個人の機能障害と社会のバリアが掛け合わせされたものだという障害の社会モデルを山田さんは紹介し、地域社会で当たり前に精神疾患を持つ人たちが暮らせる環境を共同で創る視点が大事だと提起しました。そのためには、家族のみに依存したあり方からの脱却が必要だとも話されました。依存先を増やすことが孤立を生まないインクルーシブ社会への鍵ではないかと山縣さんは投げかけました。

 精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会を目指していると平井さんと山縣さんは強調し、それは、精神疾患のある人が安心して子どもを望み・育てることができる社会でもあるという考えを示しました。支援においては、相手を客体としてではなく権利の主体として向き合うことの大切さを山田さんは障害者権利条約の理念に基づき説明し、一人ひとりの権利、存在を大切にする関わり方が大事だと山縣さんは共感を表しました。

 詳しくは以下をご覧ください。     ※総合司会は朴君愛さん(SJF運営委員)

      Kaida SJF

 

——平井登威さん・山縣勇斗さん(NPO法人CoCoTELI)のお話——

平井登威さん) 最初は僕が話させていただいて、それから山縣に途中話してもらって、また僕が最後に締めるという形になっています。よろしくお願いします。

 まず、僕の自己紹介をさせていただきます。関西大学4年生で去年の4月から休学して22歳です。

 僕が今日話すテーマは、精神疾患の親をもつ子ども若者の支援についてです。僕自身、幼稚園年長の時に父が鬱病になって、虐待を受けたり、最近よく言われるヤングケアラーの中でも心の面のケアをしたりしたという原体験があってこの活動を始めました。大学に入学したのはコロナ禍の2020年だったけど、その冬に学生団体として立ち上げて、去年5月にしっかりと課題解決に向けて進んでいく必要があると思い法人化してやっと一年ぐらい経ちました。メンバーにはソーシャルワーカーにも入ってもらいながら、本当にまだスタートアップのNPOぐらいのフェーズですけど、精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会をつくるために組織としても強くしていきたいと思って動いています。

      Kaida SJF

 

 

 

 

精神疾患の親をもつ子どもへの支援が希薄な日本 日常的な困難の積み重なりが表出化しないまま次世代に連鎖 支援を構築するCoCoTELIのチャレンジ 

 今日のテーマに関しても簡単にお話しさせていただくと、精神疾患を持つ親の子どもは、他の子どもと比べて自身の罹患率は2.5倍高いと言われています。メンタルヘルスの問題だけでなく、逆境的小児期体験というのがあって、家族の精神疾患、虐待、家族の薬物乱用、DV、ネグレクトなどいろいろあります。このスコアが高ければ高いほど、心身の健康・社会生活への支障が出る可能性が高いということもわかっています。僕たちが出会っている子たちも、この逆境体験のスコアが高い人たちは多く、子ども自身の精神疾患の疾患率の高さはメンタルヘルスだけによる影響ではないことが読み取れると思います。

 まだ日本においては大規模調査がないですけど、海外だとオーストラリア・オランダ・スウェーデン・イギリス・ドイツとかがすごく進んでいて、実は子どもの5人に一人程度いると言われていて、日本でも同等程度いるのではないかと言われています。精神疾患を有する患者数の調査を見ると、コロナ禍もあったりして今すごく増えています。同時に、その精神疾患を有する方の家族も増えているということも捉えられると思います。

 今現在、親が精神疾患の子どもに対する支援というのが日本において本当に無い分野です。特に、若い世代への直接的な支援がほとんどない。虐待や貧困、ヤングケアラーみたいな、誰が見ても問題だとわかるような課題と違って、日常的な小さな困難が積み重なっているけど表出化していなくて、そこに対する支援が希薄になっています。

 それによって、自身が親世代になっても、心身や社会生活への影響が長期的に続いて、自分が子どもを持つ選択をして、また同じようなサイクルが繰り返されるというふうな連鎖が起きているのではないかと思っています。そこに支援を構築していくことで連鎖を止めるということを僕たちは今チャレンジしています。

 

社会構造上から結果的に来る問題の不利益を被る一番弱い立場の子ども若者の支援を

 こういう話だけをすると、どうしても親の立場の人が悪いという話になってしまいがちですけど、僕たちは全くそう思っていません。背景には、精神疾患に対する理解の不足がある——本人だけでなく、その家族に対する理解もそうだ――と思いますし、精神疾患のある方に対してもその家族に対しても支援する社会資源の不足があると思います。

 個人が悪いというより、社会に大きな理由があるのではないか。僕たちが取り組んでいる社会課題はすごく複雑なものだと思うけど、社会構造上から結果的に来る問題で、最後に不利益を被るのは多くの場合は一番弱い立場にある子どもであることが多いと思っています。精神疾患を持つ親の立場の人たちだってすごく大変なこともあって、それは社会からの目だったり支援の不足だったりいろいろあると思うけど、僕たちは一つの役割として子ども若者の支援にチャレンジしています。

 

自分を主語にして考え選ぶ経験が非常に少ない子どもたちへの個別相談支援

 活動内容としては、まだ1500万円ぐらいの小規模なNPOなので本当にできることからやっている感じですけど、一つ目に、オンライン上での居場所づくりをやっています。Slackというチャットツールを使って掲示板的な機能を持たせたり、定期的にイベントを開催したりしています。二つ目に、個別相談もやっています。僕たちが出会っている子たちは、「唐揚げとハンバーグ、どっち食べたい?」と例えば聞かれた時に、自分はハンバーグが食べたいけど「唐揚げ」と答えないと家族の雰囲気が悪くなると考えて「唐揚げ」と答えるような子たちが多いのです。そういった小さな意思決定の積み重ねによって、自分は後回しにするという癖がついている子たちが多い中で、「自分を主語に安心して話せる時間」を意識した個別の相談支援をやっています。

 最近は、様々なNPOや支援機関との連携する動きも強化し始めています。オンラインでやっているので、青森から沖縄までの子ども若者と出会っていて、もっと選択肢を知ったら何か変わるのではないかと思ったとしても、選択肢は知って・選んで・使うそれぞれのハードルが高いと思っています。そこで、僕たちが間に入ることで、その「知る・選ぶ・使う」のハードルを下げるハブになることができるのではないかと、そういった他団体との連携の動きも最近は進めています。

 あと、同じような立場を経験した人たちを自分もサポートしたいとなった時に、自分のそういう気持ちは大事ですけど、自分も相手も大切にするコミュニケーションをとれるか・とれないかだったり、自分と相手は同じような立場だとしても違う人間で感じることも違うだったりといった学びを保障する場は必要だということで、ピアサポーターの養成をしています。でも、養成して終わりというのは危険だとも思っていて、養成した後、ピアサポーターとなった人たちに伴走するコミュニティ化もやっていて、こういった動きも強くしていけたらと思って活動しています。

 今、合計で200人位の子ども若者と出会っています。その子ども若者を取り巻く課題として感じているのは、まずはメンタルヘルスの課題を抱えている子が多いというところ。あと、先ほど言った「唐揚げ/ハンバーグ」の話じゃないですけど、自分を主語に考える・選ぶ経験がすごく少なく、人を頼ることや「No」と言うことは難しいとか、トラブルに巻き込まれる経験が多い。また、年齢相応の課題感として、進学・就職・就業があって、それにプラスして家庭の状況が絡まって、より複雑になっていたりもします。親の就労状況による貧困が見られる場合もあります。さらに、周囲の理解不足によって、大人に「頼ってね」と言われて頼ってみたけど、「親も大変なんだから、しっかりしないと」と言われて、「相談しても分かってくれない」という傷付き体験をして、人に相談できないという経験をしている子たちは多いと思っています。

 でも全員に共通しているのは「孤独感」。ほとんどの子たちが僕たちと出会って初めて家族のことを話したという。そういった子ども若者たちが見えていなくて、自分の悩みを話せていない社会状況にあるって中で、僕たちは何ができるのかは本当に考えていかないといけないと感じています。

 

 では、そんな中で、当事者として出会って、今も関わってもらっている山縣からお話をしていただきます。お願いします。

 

 

山縣勇斗さん) 僕はCoCoTELIに大学3年生の時に出会って、当事者として参加して、いつのまにか運営スタッフになっていました。僕自身も母親が精神疾患を大学1年の時に初めて患って、何度か症状が続いていた状況でした。再び症状が出始めたタイミングでCoCoTELIに出会いました。

 活動していて感じることをお話しさせていただきたいと思います。

Kaida SJF

 

 

 

 

 

初めて自分の感情を吐き出せて、受け入れてもらえて、自分を客観視でき、家族の状況に気づける居場所がスタート地点 

 「どんな自分であっても大丈夫な場所、感情の居場所」というのをCoCoTELIではすごく大事にしていて、そういう居場所から気づくことができる自分の気持ちがあると思っています。先ほども環境の話がありましたけど、なかなか友達に話すことができず周りの人に話す機会が少ないことが多いというのが現状です。僕は今ピアスタッフとして同じ立場の人として関わることが多いです。ピアスタッフとして話すなかで初めて「自分の気持ちってこうだったんだ」とか、いい感情もそうじゃない感情も様々にあるけれども、初めて自分の感情を吐き出して、それを受け入れてもらうことで自分を客観視する。それで、自分の家族の状況や、自分自身の感情に気づくことがスタートとして大きな役割があるのでないかと思っています。もちろん感情の居場所になるだけではケアできないところがあるので、そこはピアの限界もあるけれども、まずベースとしてこの「どんな自分であっても否定されない」というのは大きな意味があるのではないかと思っています。

 そこがベースにあった上で、先ほども社会側にやるべきことがたくさんあるといった話がありましたが、家族の問題を家族内だけの問題に留めないことができると感じています。

 

精神疾患のある方が安心して子どもを望み・育てることができる社会に向けて 家族まるごとプログラム構想

 今CoCoTELIが目指していることの一つとして、「精神疾患のある方が安心して子どもを望み・育てることができる社会」というのがあります。実際に、精神疾患を持つ本人の方から子どもをCoCoTELIにつないでもらったことが僕としては印象的な体験としてあって、スウェーデンの事例では「自分になんかあった時はここに子どもを任せておけば大丈夫」という文化ができているという話があって、僕たちが目指しているものでもあると思っています。

 

 根本にある思いとしては、僕自身も徐々に自分の家庭の状況などを客観視ができるようになってきて言語化されたものですが、「一人ひとりの権利や尊厳が守られるような活動」をしていきたいというのがあります。僕自身も同じ当事者の立場でCoCoTELIの居場所に来てくれる子ども若者に接することもあるけれども、「否定も肯定もしない関わり」というのも大事にしています。自分自身の体験と重ねわせて「そうだよね」と共感することもあるけれども、基本的には否定も肯定もせずに受け止め、相談者にとってご自身の気持ちの客観視につながるような場をつくることを大事にしています。

 大人の立場の権利が守られていない社会構造にもっと着目していきたいと僕たちは思っています。

 子どもの立場から、安心安全な場所ができることによって、逆に子どもから親に介入していけるケースもこれからあるのではないかと思っています。実際にCoCoTELIが「家族まるごとプログラム」の提供も選択肢の1つとして考えているので、そういったところも今後ぜひ目指しながら活動していきたいと思っています。

 

子どもたちからの相談に依存しない、社会側から子ども若者を早期発見して支援するモデル事業づくり

病院・企業・学校・行政等との連携を

平井登威さん) はい、ありがとうございます。僕からまとめていけたらと思います。

 もう少し社会という視点でこの課題を見た時に、社会のどこに課題があるのか。親が精神疾患を持つ子ども自身のメンタルヘルスの問題としてではなく、社会のどこに課題があるのかという観点で聞いていただけたらなと思っています。

 僕たちはその複雑な課題の中に2個の課題設定をしました。まず1個は、子どもたちが見えないことで――精神疾患に対する偏見とか、家族だから大切にしないといけないよねとか、家族主義の強さとか、子ども若者は自身の家庭を客観視して、自覚して、言語化することは難しいということもあると思いますけど――、「待つ支援」は当事者からの相談に依存してしまうので、自覚と言語化とSOSを出す勇気が前提となる。でも、それをできる人たちは本当にごく僅かで、僕たちが出会える子ども若者は何かしらの困難を経験して、それによって言語化ができたり、SOSを出す勇気きっかけがあったりした子たちなので、自身にもう影響が出てしまった状態で、それでは遅いと思っています。

 もう1個は、社会資源がほとんど無いこと。いくつか理由あると思うけど、大きなところで言うと資金面があると思っていて、経済的合理性が無い領域なので取り組みを始めて継続するハードルが高いことです。もう一つ大事だと思っているところが、虐待とか貧困とかヤングケアラーとか、名前がついていて、かつ多くの人が「これ、良くない状況だよね」とわかるような問題と違って、精神疾患をもつ親がいること自体はイコール悪では全くなくて、でもその中で様々な困難があるケースがあるという話であることです。虐待とか貧困とかヤングケアラーまではいかないけど、でも何かしらの家族の難しさがあって小さな困難を積み重ねている、名前がないフェーズへの支援がまだまだ足りないのではないかと感じています。

 その中でじゃあ僕たち今後何をやっていけばいいのかと捉えて、構造上から課題を解決していきたいと思った時に、まず1個は、「子どもたちからの相談に依存しない、社会側から子ども若者を早期発見して支援するモデル事業づくり」を社会に展開していくことなのかなと思っています。

 今後の展望としては、経済的合理性がない領域でも大事な領域となった時に、本来であれば、大きな規模のところに関しては公的な機関が取り組むべき領域だと思っていて、ただ公的な機関はゼロから事業を立ち上げていくこと(ゼロイチ)が本当に苦手で、説明責任もあって苦手だと思っている中で、じゃあ僕たちは成功事例を生み出す(Give型)事例を作って、その提言をしていこうと考えています。

 そのために僕たちがまずやっていこうと思っているのは、これもすごく簡単なはずですけど、例えば親が病院を受診していたら、そこで子ども気づく。それは何か法律かもしれないし、何か決まりがあったらそこで子どもに気づけるかもしれない。そこでもし早期発見することができたら、まだ何かしらの影響が出る手前という状態で、メンタルヘルスや、虐待とか貧困とかヤングケアラーの予防につながるのではないかという観点の仕組み作りをしていきたいと思っています。それは病院の受診だけではなく、企業の中での給食だったり、制度利用だったり、学校もそうだと思うけど、そういった仕組みが一個加わるだけで、子どもたちに早い段階で気づけて、メンタルヘルス上の課題など予防できるのではないかと思って、そういったモデル事業作りにチャレンジしていきたいと思って、この活動を進めていきます。

 そして、支援の選択肢を増やす展開に関しては、やはり寄付とか。寄付って再現性は低いけどゼロイチがしやすいなど可能性のあるお金の色だと思っています。そういったところで、多くの人と一緒にモデル事業をつくって、効果検証をして、政策提言して、選択肢を広げていく動きが、あの僕たちが取るべきところなのではないかと考えています。

 まだ組織規模も小さいことと、日本において支援がほとんどない領域で、僕たちは今言ったことをやるとしら、一地域に入って事例を作りに行くと思うけど、住む地域によって絶望する子どもたちがいると思っていて、まずは住む地域に関係のないオンライン上での居場所・支援づくりにチャレンジしていきます。

 

 伝えたいことが3つあって、まず1個は、こういう話をすると、親やケアを受ける人が悪いという話になることがあるけど、僕たちはそうは思っていないことです。親やケアを受ける立場の人たちにも様々な背景があって、社会構造上の課題があって、結局は社会の問題だと考えています。

 もう1個は、「ヤングケアラー」という言葉、僕たちだといつも少しずれるのだけど、この言葉に絡めとられることが多いので、伝えられたなと思います。ヤングケアラーの話をすると、ケアを外部化する必要があるという話になることがあるけど、でもそのケアというものがその子どもにとって持つ意味を考えていく必要があるのではないかと思っていて、その子どもにとってもしかしたらケアが生き甲斐になっている可能性もある。だから、そこに外部の人が介入するのは大事なことであると思うけど、介入してケアをごっそり取ってしまうと、その子たちが喪失感に襲われて虚無状態になってしまうことがあると思っています。だから、必ずしもケアを外部化する必要はないのではないかと思っています。

 僕たちは、精神疾患のある親を持つ子どもの支援を充実させていきたい、その土壌を作っていきたいと思っているけど、それを、精神疾患のある方が安心して子どもを望んで育てることができる社会にもしっかりとつなげていきたいと思っています。今日このテーマで山田悠平さんともコラボさせていただくことになったきっかけとして、僕たちの活動の暴力性として親の立場の方たちとの対立構造を生んでしまいがちなことがあります。丁寧な発信をしたいと僕たちも気をつけているけど、対立構造が生まれてしまうと、子の立場の人も親の立場の人も両方とも人に相談しづらくなってしまって、当事者たちがより見えなくなっていってしまうと思います。その辺りは、今日の対話で皆さんにも大事にしてほしいと思っているところでもあります。

 皆さんの中でも当事者の方がいて、いろんな思いを持っている方もいると思う。その経験は一人ひとりすごく大事なものだと思うけど、 今日のこの場は、もうちょっと社会的に、精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会になるために、社会としてどんなあり方に待っていくべきなのかを俯瞰した視点で語れる場になったらいいなと思っていて、今日は皆さんの話を聞くことをすごく楽しみにしています。

 

 

——山田悠平さん(精神障害当事者会ポルケ代表理事)のお話——

 平井さんと山縣さんの話を受けて、私は親の立場から話させていただきたいと思います。

 私自身も統合失調症がありまして、7歳の息子を持つ親の立場でもあります。普段、精神障者団体で活動しており、そういった視点から話題提供させていただきたいと思います。

 今日のアウトラインです。まず簡単に活動の状況についてお話をさせていただければと思います。その上で、社会との向き合い方という話も先ほどありましたけれども、私からは、精神疾患とか精神障害といった考え方について少し整理をしてお話をしたいと思います。そして、今日の中心的なテーマの一つだと思うけれども、「家族に依存したあり方からどういうふうに脱却をするか」ということについてお話をしたいと思います。

Kaida SJF

 

 

 

 

 まず、ポルケの活動について簡単にご紹介をさせていただければと思います。精神障害のある当事者によって構成される障害者団体です。2016年から東京を中心に活動しています。精神障害のある人がつながっていくこと、そしてそういった知見から理解啓発を伝えること、そしてソーシャルアクション・変えていくこと、こういった取り組みを三位一体でやっている団体です。

 取り組みの一つでは、つながる活動の延長で「お話会」というのを毎月開催しています。ここは、精神障害・精神疾患のある人を対象にした集いの場であります。普段、支援関係や精神疾患のスティグマによって言いにくいことを僕らはたくさん抱えています。そういったことを同じ特性の人が集まって分かち合いをしていこうと取り組んでいます。今まで精神科クリニックに通っていたけれどもここで初めて同じような立場の人と話したという人も結構いらっしゃいます。

 まずは分かち合おうということから私たち始めてきましたけれども、同時に、一人ひとりが抱えている困難というものが社会課題に通ずるような視点も学べることがこの間たくさんありました。そういったことも含めて、このお話会では大事にしたいと活動しています。

 このお話会については、プライバシーに配慮をし、作成したレポートをホームページで公開をしています。たとえば、働き方とか、最近ですと身近な人からの理解ということでご家族の近しい関係だからこその難しさについても話題に上がったりします。

 こういった当事者のみに開いている場ですけれども、こういったところから出ているメッセージについて、支援職の方や家族の方からも感想をもらうことがあります。「改めて当事者はそういうふうに考えていたんだなと、普段の関係と違う角度から、精神障害の人たちの実存を知りました」というような感想をもらうこともありました。

 まずは当事者がつながっていくことですね。そこから、理解啓発やソーシャルアクションをやっていこうとしているわけですけれども、開かれた枠組みを作って様々な社会課題に向き合うことも大事にしています。

 

 そんな取り組みの中で、障害の向き合い方について、違う角度から話題提供したいと思います。

 国際的な人権保障の取り組みの中で「障害者権利条約」が非常に大きな価値を帯びています。2022年に日本はこの国連の障害者権利条約の総括所見を受けています。国連のこの条約に対して、国内での制度や法の履行状況がチェックを受けて、具体的な課題が上がったのが総括所見です。私たちの団体でも2019年と22年にジュネーブで審査が行われた際にロビー活動などを展開しました。

 この条約の大事なメッセージですけれども、「私たちのことを私たち抜きで決めないで」というスローガンがあります。これは条約策定の段階でも非常に大事にされてきたけれども、同時に、この条約を各国や地域で実行する際に非常に改めて注目をされている考え方です。

 こういった考え方がなぜ言われているかというと、これまで障害のある人の権利の問題というのは保護の客体という形で守られるべき対象ということで、主体性は軽んじられる傾向が非常に強かったからです。そういったやり方を一つ変えてくメッセージとしてもこういったスローガンは大きな意味を帯びてきています。

 この国連の障害者権利条約を構成する大きな考え方が、「障害の社会モデル」になります。簡単に申し上げると、障害の社会モデルというのは、障害は個人ではなくて社会にあるという考え方、視点であります。こういったものが今、国内の制度や法規範の中でも大きなウェイトを占めてきています。

 これまでの考え方は、「障害の医学モデル」や「個人モデル」と言われていて「機能障害」を特に対象とした視点でした。私は精神障害の統合失調症ですけれども、そういった機能の障害に関しては、例えばお薬を飲むことや、リハビリをすること、その人に対しての医療や福祉の支援に重きを置かれていたわけです。その枠組み自体は決して否定されてないけれども、「障害の社会モデル」は、そういった機能の障害と併せて「社会的な障壁」というものが掛け算となって生じること、これを”Disability”と考えます。その考え方に基づいて、制度設計だとか物事の規範を変えていくことが求められています。

 

障害の社会モデル 機能障害と社会的バリアが掛け合わされたのが障害 対策はインクルーシブな社会環境づくり

 改めて少し整理をしたいと思います。先ほど、機能の障害についての向き合い方、これを「個人モデル」と言いました。それに対して、機能の障害と社会的なバリア、これが掛け算になったものがDisabilityだということを説明しました。

 「社会参加の不利の原因」に関しては、個人モデルはあくまで個人の機能の障害ということになります。それに対して、障害の社会モデルは社会の環境だとか制度とか、場合によっては人々の意識だとか、そういったものによって生じ得る相互作用と考えます。

 「障害の評価」に関しては、個人モデルは多くは無くすべきものとか克服すべきものと言われます。対して、社会モデルはあくまで一つの属性で多様性だと考えます。

 「障害への対策」は、個人モデルではあくまで予防とか保護ということで、例えばお薬の話もしましたけれども、そういった形で治すとか、それが発生しないようにどうするかといったところは非常に重きを置かれていました。それに対して社会モデルは「インクルーシブな社会環境」をつくっていこうという方向性を示しています。

 「障害者問題とは」、個人モデルに際してはあくまで狭い範囲での医療や福祉の問題であるわけですけれども、障害の社会モデルに関して言うと、「人権の問題」と捉え直すことができるわけです。

 そういった形で「障害の社会モデル」に依拠して、社会の環境だとか制度、意識を変えていくことが今後、重要な考えだということが言われ始めています。私たちもそういった考えに基づいて、様々なソーシャルアクションを行っています。

 変えるべき対象として社会的障壁を「バリア」と言ったりもします。よく「バリアフリー」という言葉を聞かれる方も多いと思いますが、これは必ずしも階段とか点字ブロックの上の何等かの障壁ということに限りません。制度だとか慣行とか観念に基づく様々な障壁、これもバリアと位置づけられています。

 

障害者への建設的対話による合理的配慮 共生社会への環境整備にもつながる

 こういった障壁それぞれに対して私たちはどのように向き合うべきなのでしょうか? 大きな考え方が一つ示されています。障害者権利条約の中でも中心的な新しい価値観の一つですけれども、「障害の合理的配慮」という考え方があります。これは国内においては、障害者差別解消法と障害者雇用促進法という法律の二本立てで大きく規定をされています。特に前者に関しては今年の4月に法改正も施行されて、合理的配慮の提供が民間事業者に義務化されるという流れになっています。

 これは何かというと、障害のある人から「こういった配慮をしてもらえば私たちは参加がしやすくなる」だとか「こういった配慮してもらうと困らなく行うことができます」という部分で、何らかの調整を求めていくこと、これが合理的配慮になります。

 こういったものを担保することが法的に定められてきたわけですけれども、一方でこの枠組みに関して「建設的対話」の重要性も言われ始めています。例えば障害のある人から「こうしてほしいんだ」と投げかけがあった場合、必ずしも経済的な事情や様々な理由で必ずしも完璧に履行できない場合もあるわけです。そうした場合に折り合いをつけて話し合っていくこと、このあり方が「建設的対話」になります。そこで共に対応策を検討して、あるべき配慮を一緒に考えていこうと言われています。これまで「一緒に考えよう」ということを私たち当事者から言ったとしても、それに対して向き合ってくれる人ばかりでもなかったので、こういった法律ができることで担保され始めているわけです。

 これはあくまで個別的なケースについての話が合理的配慮なのですけれども、一方で言われ始めているのが、「合理的配慮の提供を通じて、環境整備につなげていく」ことが改めて大事な価値観だということです。 例えば、特定の人が店の中でこういった配慮をしてほしいということで、そこは何らかの状況が担保されたとしましょう。そうした場合、合理的配慮のあり方はその人だけの配慮のことではなくて、その対象となる障害のある人たち全体の課題解決につながることもあるわけです。そういった形で合理的配慮慮は個別的なケースの対応ということですけれども、その蓄積がいろんな地域でいろんな場所で積み重なることによって、障害のある人への配慮のあり方が全体化していく。これが「環境整備」です。こういったもののあり方が一歩一歩つながることによって、共生社会を築いていこうと言われています。

 そして個人的に大事だと感じているのが、こういった全体化の流れ中で、障害のある人の課題感が障害のある人だけの問題ではないということも起きていることです。どういうことかというと、私たちの精神障害においては、薬の副作用などの影響によって朝なかなか起きづらいとか、午前中のパフォーマンスが悪いという人がいます。そうした場合、フレキシブルな働き方ということで、本来8時半に出勤するところ少し遅らせて出勤をするような――今でこそフレキシブルな働き方はある程度一般化していますけれども――配慮も認められたりしています。

 こういった配慮のあり方は決して精神障害の人だけが恩恵を受けるのではなくて、朝なかなかパフォーマンスを発揮しにくいとか、既存のスキームでの働き方を時間として担保しにくい人——これは様々な要因もあり、家族の介護の人もいるかもしれません――も含めて働き方全体をフレキシブルに変えることにもつながっていくわけです。

 ですので、私たちから投げかける合理的配慮というのは、一義的にはその人に還元されますし、周辺の属性の人へ全体化ということもあるわけですけれども、硬直化していた制度や仕組みを見直す必要なきっかけとしても期待されると感じています。今回話題としているような精神障害の子どもたちへの支援にも通ずる視点なのではないかと感じています。

 

差別を再生産する隔離

 こういった考え方に基づいて、国連の障害者権利条約は「インクルーシブ社会」をつくることを一つのゴールとして掲げています。一つの枠組みの中で誰かを排除するのではなくて、先ほど申したような「合理的配慮」も含めて担保することによって「包摂」をしていこうという考え方になります。

 残念ながら、こういった考え方はまだ履行されていません。特定の人に対して特別な枠組みを設けて支援をしていこうだとか、特別な枠組みを設けて何らかのつながりを作っていこうという「インテグレーション」な形が現在多くなっていると思います。ただ、これは大きな進展にはつながらないと考えられています。

 なぜかというと、こういった「分ける」というやり方が、実はまた大きな問題を生んでいるからです。分けることが極端に言いますと「差別を再生産している」と考えられるからです。精神科病院なりに分けることで機能している、それは決して悪意ではないと思います。現に困った人がいるので手を差し伸べましょうということでの支援だと思います。でも、そういった人たちが受けている隔離された支援は地域社会の中でそういう立場の人を排除してしまうことにもつながります。面倒だとか怖い危険だとされる人たち隔離をされて地域安全が保たれる、そこまでは言われてないかもしれないけれども、国が特定の人たちを隔離して分けてしまうと、分けられた人たちに対してのスティグマが結果的に強化されてしまうという課題があるわけです。

 

地域のなかで当たり前に精神疾患を持つ人たちが暮らせる環境づくり

家族に依存したあり方からの脱却

 ですので、合理的配慮だとか必要な支援を拡充して、地域の中で当たり前にその人たちが暮らせる環境を作ることを大事にしたいと、そんな思いで私たちは活動しています。 

 そうした取り組みの過程の中で、「家族に依存したあり方から脱却する」ということも大事なプロセスとして考えています。私たちが取り組んでいるのは、自分たちの暮らしで障害者福祉サービスなどを活用した暮らしのデザインを提起していくことを目指しています。

 日本社会は自己責任的な風潮が非常に高いと思います。これに対して私たちは、必要な社会資源を活用して地域で暮らすやり方を自分たちからチョイスして育んでいくことを大事にしたいと考えています。このサービスが使いにくいだとか勝手が悪いとかもあるけれども、一方で私たちの考え方の中にも、こういったサービスを使うことについての戸惑いだとか、使う経験がないことによって情報が得られないという課題もありますので、実際に経験をしている人たちに話を聞いて、エンパワーメントを図っていく取り組みもしています。例えば、私どもの会の副代表は今3歳の子どもを持つお母さんです。子どもを含めての支援のあり方についてのインタビューをYouTubeで配信しています。もしご関心のある方はそちらもご視聴いただけると嬉しく思います。

 私たちは「地域の中で暮らす」ということを大事な価値観として活動しています。なぜ大切にしているかというと、先ほども言ったよう障害者権利条約が示している大きな理念であると同時に一つの実存的なこととして本当に重要だと考えているからです。

 精神障害については偏見や差別の問題もあって自分から周りになかなか明らかにできない人もいます。自分の地域の中でそれを語る経験だとか周りに伝えていくというエンパワーメントも非常に重要になっています。活動拠点である東京の大田区ではユニバーサル駅伝という取り組みをしています。ここでは一期一会で選手がチームを築いて、中高校生が伴走してくれるという駅伝スタイルの競技です。チーム編成はその場で事務局が決めるのですけれども、年齢や国籍、障害の有無やジェンダー、様々な違いを乗り越えて同じ目的でタスキをつなぐことを体験するわけです。そういった体験を通じて、いろんなことを一緒に考え、違いを知ることが体感で得られる。そこに本当に大きな意味があると感じています。そういったつながりの中で、参加した仲間たちから、普段なかなか言えなかった精神障害のことや自分の考えていることも改めて表出できたと、歓迎される声も聞かれています。

 こういった取り組みを通じて、地域自体が多様性を価値とすることを求めていくと同時に、自分たちが思いの丈なりを育めることも重要なことだと考えています。私たちの活動では共に育むというキーワードとして「共同創造」というものがあります。「リカバリーカレッジ」という、精神障害のある人や専門職、様々な経験者が集って学びをつくっていこうという取り組みも行っています。この取り組みにはご家族の方も参加してくれています。ご家族の方も改めて関わる中で打ち明けてくれた方もいて、こういったつながりの中でそれが語れるということも重要なことなのではないかと感じています。

 

 ここまで私の方からは、活動経験からの「障害の社会モデル」という考え方に基づいた障害観と、これについての重要性についてのお話もさせていただきました。同時に、その視点から「合理的配慮」や「環境整備の推進」が求められています。今日、平井さんと山縣さんの話からも、社会の問題として考えていこうという話があったかと思います。そうした視点に立った場合、こういった合理的配慮や環境整備という視点も非常に重要になってくるのではないかと考えています。そして、そういった提供を通じて私たちはどういった社会を築こうとしているかについても併せて確認させていただきました。多様性が担保された「インクルーシブな社会」が必要になってきます。インクルーシブな社会を築いていくことこそが、誰かが排除されないし、困っている人たちが包摂されるということが築かれていくわけです。

 そして、日本固有の課題の要素として、「家族主義的なあり方」があると思います。これまでは家族の中でも特に当事者の母親への依存度についての議論することが展開されていました。今日は子どもの立場の人がそれについて考えようということでした。これは大きく捉えれば、そういった母親なり父親なり子どもなり様々な周辺の家族という人たちに対しての依存が高いという問題に基づく課題があるのではないかと考えています。後半、そういった課題がどうして起きるかということについてもお話をしていきたいと思います。

 そういった枠組みを変えていく意味をどういうふうにつくっていくのか? そのプロセスとして「共同創造」という、立場を超えて考えて場をつくっていく意義についてもお話をしました。複雑な社会課題かと思いますが、自分たちからできることは何かということも含めて一歩一歩、一緒に考えていきたいと思っています。

 

 

——パネル対話(平井登威さん・山縣勇斗さん・山田悠平さん)——

平井登威さん) 山田さん、改めて今日は本当にありがとうございます。

 最初、3人ともお互いのプレゼンを聞いた感想や今日のテーマについて思うことを話せたらいいかなと思っています。いきなり振ってしまいますが、まず山田さん、正直な感想も含めてお話いただけたら嬉しいと思っています。

 

山田悠平さん) ありがとうございます。今日、平井さんが最後にお話いただいたところが、僕も本当に重要だと思っています。ヤングケアラーについて昨今メディアでも大きく取り上げられるようになって、関心が広がっていることは本当に重要なことだと思っています。ただ、そういったメッセージの中で、精神疾患のある親本人に対して、加害性についての少し厳しいご意見もありまして、それは実際そう感じられたことについて周りに打ち明けられなかったということも含めての課題だと冷静に考えられるけれども、それがスティグマの何かにつながっていかないかという懸念を持っています。今日のこの場は、そういったことも含めて社会の課題としてどういうふうに考えるかというメッセージをいただいたので、それであれば私もぜひ一緒に話せるなと思ったので参加させていただきました。一旦そこについては前提として確認できてよかったと、皆さんにもお伝えをしたいと思います。

 

平井さん) 山縣さんはCoCoTELIでいろいろな当事者の方と出会っていると思うけど、僕も子ども若者の相談に乗る中で「すごい親が憎い」という子もいれば「親はすごく大切だけど、もやもやすることもある」という話があって、当事者として現場に入る一人として、精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会とは、どういう形で捉えているのか聞かせていただくことできますか?

 

山縣勇斗さん) 山田さんの話を聞いて改めて思ったところですけど、キーワードになるのは「依存先がどんどん増えていくこと」だなと思いました。「インクルーシブ社会」に向けて、僕たちも社会側にまだまだ課題がある中でそこに向かっていく過程にある中、いい感情ばかりではなく「憎い」などの感情ももちろんあると思いますし、全部を悪として扱うべきではないと思います。そこの吐き出し口として、依存先が子どもの立場にとっても、また親の立場にとってもすごく大事なキーワードになっていくのではないかと思いながら聞いていました。

 

精神疾患の親をもつ子ども若者支援で対立構造を生まない方法 社会側の課題に共に取り組む視点から

平井さん) 今日のテーマの本題に入っていけたらなと思います。まず、僕たち視点から山田さんに聞きたいと思っているところが、僕たちは精神疾患の親をもつ子ども若者支援を進めていく中で、僕たちの見えていないところで、親の立場の人たちに対する加害、見えない加害をしている可能性が大きくあると思っていて、僕たちはいろいろ気をつけたとしても、精神疾患そのものが悪いみたいになりがちな話ではあると思うので、親の立場の方や精神疾患のある方と普段関わる中で、対立構造をできるだけ生まないような、手を取り合っていけるような方法って何かあるか、ぜひお聞きしたいです。

 

山田さん) 平井さんご自身も話をしてくれたと思うけれども、取り巻く社会側の課題をしっかり見ていく視点をどう育めるかなのではないかと思っています。どうしても物事は表面的に見えてしまうし、特にマイナスのイメージが付きまとう価値観の中で語られたものは、それは良くないだろうとか無くすべきだとか、とんでもない形でハレーション的な反応が出てしまうと思うけれども、そこは冷静に見てく視点も重要だと思っています。

 実はこれは私たち自身にも言えることで、私たちからすると、特に自分たちの親の立場に対して、結構複雑な思いを持っている人が多いです。様々な理由で無理やり入院させられる制度がこの国にはあるけれども、それを担保してしまう一つとして、特に親の立場の人たちの同意によって不本意な入院をしているケースがあるのです。そうした場合、親に対して複雑な気持ちを持っている人もいるけれども、これをどういうふうに自分たちの中で昇華をするのかという大きな問題意識があります。

 確かに、そこについて周りに言えなかった、受け止められなかったので分かち合いたいこともあるかと思います。ただ、分かち合うと同時に、そういった親御さんが、親御さんとしてなぜ本人が入院したくないと言っても入院させる制度に乗っからなくてはいけなかったのかということについて考えなくてはいけないわけですよね。記号論的にも同じことが言えると思っていて、確かに困ったものはある、よくなかったこともある、辛かったこともある。で、そこについてどう向き合うかというアプローチと、それが繰り返されないためにどうしたらいいのかを一緒に考えていくことが必要で、丁寧な議論が必要だと思っています。

 

平井さん) 僕、今それこそ実家で親と一緒に暮らしているのですけど、やっぱり自分の親となると、ちょっと憎いなって思うタイミングが結構あるのです。でも逆に、山田さんもそうですし、他の親の立場の方たちと出会った時には全く憎いとは思わない。家族というのはすごく難しいと思う。親子で安心して対話ができるというのとは違うと思うけど、精神疾患のある方とその子どもの立場にある人たちが話す機会があってもいいのかと個人的には思っていました。

 山縣さんは今のテーマに関して話したいことありますか?

 

山縣さん) 偏見は本当に大きく難しいテーマだなと思っていて、身体的なケガの時は「大丈夫?」って寄り添うのに心の病気となると「ちょっとヤバいんじゃない」みたいな目で見られてしまうというのが現状ある、という話を聞いた時に自分もすごくハッとしました。今、平井さんも言っていたみたいに、自分の親に対する偏見がもしかしたらあるかもしれないし、客観的に気づく機会もあまり無いのかなと思いながら聞いていました。だから、こうやって対話できる機会はすごく貴重だなと改めて思っていました。

 

平井さん) こういう親の立場の方と子どもの立場の方が対話をするという機会はあまり無いですよね。

 山田さんに今回すごく感謝しているのは、こういう話は、どうしても親の立場の方が責められてしまいがちな構造にある問題だと思うので、その中でこうやってご協力いただいたことです。

 山田さん、CoCoTELIの活動を見ていたり、今日の話を聞いたりして気になることなどありますか?

 

山田さん) この取り組みで今後取り組むべき方向性が2つあるのではないかと考えています。一つは、いわゆるヤングケアラーとされるような立場の人たちがセルフヘルプの活動を育める場をどう社会的に担保するかということだと思うのです。おっしゃる通りで、潜在化している課題も本当にありますし、まずはその中で胸の内を語れる場がオンラインを含めてしっかりと築かれることが必要です。同時に、それが特定の枠組みに留まらず、自然な形として言えるような感じに社会全体を変えていくようなムーブメントも必要です。「決して恥ずかしいことじゃないし、隠すようなことでもないよね」ということがもう言葉にしなくても共有できている社会を目指さなくてはいけないと思うのです。そういった方向性が一つですね。

 あと、「外部化は必ずしも必要なことではない」という話もありました。私もそうかなと思うけれども、一方で、本人なり本人が支える家族への支援も制度的な担保ということも求めていく必要があるのではないかと思っています。現行の制度の中でも、障害者総合支援法という法律で、特に子育てに関する支援が――もともとは視覚障害や聴覚障害の人への支援だったのですけれども、そういった枠組みの延長として――あります。ただ、これがまだ自治体レベルでも一般化していないですし、こういった制度を使いたいと言った時に、自治体の担当者に「障害のあるお父さんがそんなことを考えなくていい」と言われてしまったことがあります。これはジェンダーの問題も絡んでくると思うのですけど、親の中でも特に父親が育児支援のことを考えた時に、まるで「お母さんの問題だ」みたいに切り捨てられることもあります。そういった形ではなくて、ジェンダーが抱えている複雑さもあるかと思うけれども、育児支援制度をしっかりと使えるとか、支援自体を良くしていくことが必要です。

 

平井さん) 子育てをされている中で、すごく悩まれることもあると思うのですけど――それが精神疾患によるものなのか、そうではないのかというのも難しいところがあると思うけど――、子育てしていく中で感じる難しさもあるのですか?

 

山田さん) そうですね。子どもに直接対する扱い方だけではなくて、お父さん同士のコミュニティなどとの関わりが自分の中でどういうふうに上手くできるかについて、ちょっと難しさを感じることがありますね。精神障害自体が「見えない障害」と言われていて、スティグマの問題もあるので、私自身こういった活動をしていますけれども、いろんな生活の場面でその都度、周りに「私に精神障害があって」と言えることばかりではないのです。例えば、保育園での保護者会の役割を求められる場合に履行するのが大変なことがあって、その理由を説明して分かってもらう必要があると思ったけれども、精神疾患のことを詳しく言えなかったこともあったし、そこについて相談する先も見つからなかったこともありました。

 日本の枠組みの中で、育児支援や障害者支援や保育といった様々な公的な制度があるけれども、それが横串で使えるようなあり方だとか、それを利用するにあたって抱えている困難をどこに相談していいかということについてトータルポイントとして受けるような窓口が見つからないので、何らかの制度で担保する流れが生まれてくると嬉しいなと思っています。

 

依存先を増やす 孤立しないインクルーシブ社会へ

山縣さん) 山田さんの話の最後で、「依存度が高いということに課題がある」ということもおっしゃっていて、正にそうだなと思っています。でも、なぜそれが起きてしまうのか。どうしたら、一つの依存先にならなくてもいい、家族の問題に留めなくていい、緩く広げていけるのか、お聞きしたいと思っていました。

 

平井さん) 自身に精神疾患があって子育てをされている方とお話させてもらった時に、すごく印象に残っている言葉が「『困った時はここを頼ってね』と子どもにも伝えているし、自分も『ここを頼る』という場所を決めている」。それっていいなと思っていて、特に子どもはどうしても自分自身で依存先を見つけることは難しいことがあると思うのですけど、親子でそういうのを話し合う時間を持ってお互いに整理していく。僕、大学が防災を学ぶ学科なのですけど、よく防災で「避難所をみんなで共有しておこう」という話があって、「困った時はこの人に頼って大丈夫だからね」とか「この人の家、ピンポン押して大丈夫だからね」というのを、もちろん相手にも伝えた上で、家族で共有しておく。それぞれの頼れる先は別でもいいと思うけど、そういうのを共有しておくのは簡単にできることとして大事だと思っています。

 身近なところでできることとしては、「依存先を増やす」という観点は、別に精神疾患がある方やその子どもの立場の方だけの話ではなくて、家族という単位だとどうしても難しさがあって上手くいく時ばかりではないので、精神疾患の有無に関わらず大事なことなのかなと思いながら聞いていました。

 

山田さん) そうですね。「依存先を増やす」という山縣さんのメッセージは、なるほどと思ったのですけど、地域社会の中でどれだけ顔と顔の関係があるかにもつながったり、今日私が話したような制度につながったりするかということに関わってくると思います。

 精神疾患は、私自身もそうでしたけれども、病気自体がしんどいこともあったけれども、孤立化していたと思います。外に求めていく力自体もだんだん奪われていってしまう。顕在化していない課題が本当にあって、そこにアクセスできるよう障壁を下げると同時に、普段の事から何かに関わる中で相談をできるようにするといった視点とか、エンパワーメントということが実はそもそも日本社会はだいぶ低くなってしまっているという問題なのかなとも思っています。もちろん今回お話されているところから取り掛かろうということもあると思うのですけど、そもそも抱えている日本的なしんどさもあって、それも見えてきているのではないかと感じているところです。

 

平井さん) ヤングケアラーの議論の中でも地域コミュニティがどんどん希薄化していくことが問題になっています。例えば、近所のおばちゃんみたいな人がいる子が少ないとか、居場所になっていた地域の駄菓子屋みたいな役割があるところがほとんどないとか、公園でサッカーができなくてボールを使うと怒られてしまうという話もあって、日頃のいろんなコミュニティとの関わりは本当に大事な視点だなと思いながら聞いていました。山田さんは、そこら辺は意識されているのですか?

 

山田さん) そうですね。ユニバーサル駅伝というイベントについてもお話しましたけど、非日常的なお祭りなのです。やはり子どものことで思うと、学校か家庭かといった形にコミュニティが限られがちな時があって、両方とも窮屈だと本当に子どもの居場所、心の置き処が無くなってくると思います。それ以外の関わる機会を子どもは自分から選べないし、作りにくいと思うのです。作れる子もいると思うけれども。いろんな顔が人間にはあって当然だし、それが育くめるあり方というのを自分たちからもやっていきたいと思っていて、その一つが「共同創造」をテコにした学びの場なのですけど。何が正解か、僕も実はよくわからないですけれども、とにかくいろんな関わりを作っていくことは総じて今日のような問題にもつながっていくところがあるのではないかと感じています。

 

平井さん) こういうテーマで話すとどうしても精神疾患の有無の話になってしまいがちだと思うけど、それと関係なくてもすごく大事な話だと思います。家族というだけじゃなくて、人生を生きていくというすごく大事な話なのかなと思った時に、広く捉えて考えていくことも大事だと今の話を聞きながら思いました。

 

精神科病院に親が受診したタイミングで子どもを支援網に捉える

山田さん) 皆さんに1個だけ聞きたいことがあります。今後の方向性が2つあるのではないかという話を先ほどして、特に後者についてなのですが、制度や仕組みをつくることへの取り組みに関して、こういうものができてくると社会が変わるのではないかと思っていることはありますか?

 

平井さん) ノルウェーとか、スウェーデン、オランダ、オーストラリアとかでは、精神科病院に親が受診したタイミングでその子どもの有無をしっかりと捉えて、かつ子どもに情報提供をするという話があります。法的に決められていて、でも法律がどれだけできたとしても運用上の問題もあると思うけど、親が精神疾患の子どもに対して生じる影響を予防するという観点で、そこはすごく重要なのかなと思っています。

 親が精神疾患の子ども自身が自分からSOSを出すのは難しいので、じゃあどうやって社会側からその子どもたちに気づいていくかという話になった時に、病院とか、学校とか、また企業とか辺りはすごく大事だと思っています。病院など、メンタルヘルスに不調を抱えた方がつながり得る可能性が高い機関で、お医者さんや看護師さん、PSW(精神保健福祉士)さんとかのそういった家族に対する目線に、何かしらのサポートが必要なのではないかという視点を醸成することにもつながるのではないかと思っています。まだ勉強不足ですが、ノルウェーでは調査もしっかりされているので、勉強したいと思っています。

 

山田さん) 家族支援の枠組みを深めていったり、既存の枠組みの中でも意識してもらったりするあり方を一緒に考えていけるといいですね。

 

平井さん) 本当に今後もいろいろ共有させていただきたいです。

山田さん) こちらこそです。ありがとうございます。

 

 

――グループ対話とグループ発表を経て、ゲストからのコメント――

※グループにゲストも加わり、グループの方々に感想や意見、ご質問を話し合っていただいた後、会場全体で共有するために印象に残ったことを各グループから発表いただき、ゲストからコメントをいただきました。

 

平井登威さん) グループ対話から僕の中で1個大きな発見だったことがあります。僕たちは今、「精神疾患のある本人にもその家族も生きやすい社会へ」ということを掲げているけれども、僕たちの考えることや感じること、日々出会っている情報はすごく偏りがあって、その中で病気を身近な人に説明することは大事なことだと思っているけど、特に小さい子だと悪意なく親の病気について周りに話してしまうなど間接的にいろんな人に伝わってしまうリスクもあるし、病気のことをどう説明したらいいいかわからないという話もありました。改めてそこは自分たちもしっかりと考えていかないといけないところだと思いましたし、それには対話が必要だと感じました。

 今後も子ども若者の支援をするからと言って、親の立場の人たちとの分断を生むのではなく、親の立場の方たちとのこういったコラボもそうですし、協働みたいな形も進めていけたら、本当に「精神疾患のある本人も家族も生きやすい社会」に近づくのではないかと強く感じた、いい時間になりました。みなさん、本当にありがとうございました。

 

支援を受ける客体としてではなく、権利の主体として存在を大切にされる関わり方を 

山縣勇斗さん) すごく貴重なお話をさせていただいたと思っています。僕たち、先ほど平井さんも言ったように、「精神疾患の本人もその家族も生きやすい社会」を改めて目指したいなと思いました。

 今日、グループ対話で支援する話も出てきた中で、一つ僕が忘れたくないと思ったのは、「権利」というところです。僕たちが地域の中で子どもの早期発見・早期支援の仕組みを作っていくという、その仕組みの中にも「アセスメントを受ける権利を保障する」ということをよく言うのですけど、子どもの立場だけでなくて、親の立場で精神疾患のある方も安心して子どもを望み育てられる社会に向かっていく中でも、もしかしたら親の立場の方々にとってもアセスメントを受ける権利を保障していることにもつながるかもしれないという気づきがありました。支援だけでなく、権利とかその人の「存在を大切にする」ことを大事にしたいなと自分自身も学びになる時間でした。ありがとうございました。

 

山田悠平さん) 対話の暖かさを今日は本当に改めて感じた時間でした。立場を超えてお話をすることはもとよりですけれども、そういったところから何かを一緒に築いていこうというところを、参加した皆さんと一緒に感じることができました。アドボカシーカフェという取り組み、本当に素敵な取り組みだなと感じています。山縣さんの話にもありましたけど、人の権利という視点で考えることも重要ですし、何よりいろんな立場の中で考えるという、それぞれの経験を持ち寄るということですね。そこを育めるということが、こういう取り組みからもっと広がってくると、社会を変えていく一歩につながってくるのではないかと本当に思っています。本日は運営の方も含めて、ご参加の方も含めて、ありがとうございました。とてもいい時間でした。

 

朴君愛さん) 今日、皆さまと一緒に大事にした時間、そして言葉を、次の社会へのアクションにつなぐことができたらと思います。今日お話しいただいた3人の方々がくぐって来られた大変つらかった時代、その次を私たちと一緒に開いていこうよと、励まされたような気持ちで会を終わりたいと思います。皆さま本当にありがとうございました。

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